クリスチャン生活において成長すると、同時に主に礼拝を捧げる欲求も大きくなります。その願いは満たされなければなりません。神もまた、神の子供たちと霊的な親交を持ちたいと願っておられます。ジュディ・バルテル師によるこの課程は、礼拝の必要と益について教え、一貫した個人的な祈りを維持したいと願う方の助けとなります。またここでは、グループによる礼拝にも有益な、本質的な指針も学びます
神への礼拝は、貴重な石のようなもので、私たちを霊的に豊かにします。そして美しい宝石のように、礼拝にもいくつかの面があります。そのうちの最も重要なものを学びましょう。あなたはこれらの真理を実行に移すとき、礼拝という宝石を磨いていることになるのです。あなたの面の一つ一つが、神の栄光と美を放射するよう、聖霊は助けてくれるでしょう。
聖書の歴史から、神を信じていながら、目に見えるものや頭に思い描けるものを礼拝したいと願う人々がいたことがわかります。彼らの忠誠心は多様でしたが、結局は偶像への礼拝と服従に傾きました。イエスは言われました。「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません」(マタイ6:24) 私たちはその価値があるたった一人の主を愛し、仕え、礼拝したいものです。
祈りは決して難しいものではありません。私たちは、自分を愛し、自分が愛している人と会話をかわしたくなるものです。地上の対人関係と同じように、話せば話すほど交わりはスムーズになっていきます。祈れば祈るほど、祈りは容易になっていき、言葉や礼拝の中に愛を表すことができるようになります。
もし私たちが言葉でイエスを愛するというなら、行いによってその愛を表現するべきです。 この課の目的:キリストの生活からしもべの態度を学び、自分の生活と比較する。礼拝としての奉仕の態度について学ぶ。奉仕による礼拝の重要性を学ぶ。
音楽は重要なものです。音楽は私たちの感じ方を左右したり、感情に働きかけたり、行動を変えることすらあるからです。音楽の最も高貴な目的は、主に礼拝を捧げ、栄光を帰すことです。 聖書には楽器と声による礼拝の例があります。音楽による礼拝は、私たちの神への感謝と賛美の助けとなるために与えられています。
神は聖書の中で、私たちの礼拝に対し指針を定めています。この課では、有意義なクリスチャン礼拝のために、私たちがどのように備えるべきかを学びます。
この課では、あなたがどのように礼拝すべきかを学ぶのではなく、他の兄弟姉妹が礼拝について学んだことを分かち合います。聖書の時代に生きた人々と、現代に生きる人々の話です。あなたがここで学ぶことを実行に移せば、あなたもまた他の兄弟姉妹を助けることになります。
この課の目的:神を礼拝するものに与えられる祝福を願うようになる。壊れることのない主との永遠の交わりを願うようになる。